7110とうがらし

chick in wisteria 7110が何かを言っている

記事タイトルをバシッと決められないせいで全然更新していなかったことにしよう

最初の一歩が踏み出せないと前に進めない

そういうことにした

 

 

今日は言葉の質量を存分に感じた日である

その質量を生むのは果たして何なのか

言葉に出来ないソレが言葉に質量を持たせる

そして僕にはソレが無い、気がしてしまった

 

強く生きる、必要は無いが

弱く生きたくは無い

帰りの電車、

混んでいるとも空いているとも言えない

人口密度の中で打ち込むこの文字列には

やはり質量がない、ような気がしてしまう

 

だとしても、吐き出しましょう体外へ

今日のこの文字列は自分の為に

飽くまでも、自分の為に

 

スマートフォンから外した間接視野の

人の所作を見て自分の立ち振る舞いを考える

パブリックスペースでの自分の見え方

 

誰も気にしちゃいないが

俺は気にしていたい

自分の事ぐらい

 

なんてことない雑記⑤

東京在住の兄が帰ってきてるから

家族揃って夕飯食べようや、という親の意向に沿って

たった4,5時間だけだが帰省

 


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確実にこの堅苦しさは遺伝している

 

 

 

 

4つ上の兄はしっかり働いて結婚もして

身長も高く顔立ちも整って

高ステータスな男である

あと何気に彼は立川にある某国立大学に通っていたから個人的に立川という土地には何か縁を感じている

 

 

 

遠方の彼からすれば

頻繁に実家に帰ることなど出来ないだろうから

帰省というカードを切るのは結構大掛かりなことであろう

 

 

対して僕は

電車乗り継いで1時間と少しぐらいで実家に着ける

次はいつ帰って来れる?と聞かれても

いつでも帰って来れるよと返事をする

 

 

 

 

 

いつまで続いてくれるだろうか

 

いつまでもこうしてはいられない、のは明白

ずっと続くとは思えない日常

 

 

 

 

 

 

生きる

生きなきゃなあ

 

 


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もう抜け殻になってしまった部屋を後にした

 

 

 

 

 

 

 

To be continued

先を見たい、と言ってもらえる事がちょくちょくあって、それはやはり現状での満足には至らないものの、期待をして頂けているということ、それを伝えてもらえるということはとてもありがたく、それだけでも続ける理由、理由というよりはモチベーションになりますね それはもう、続きが気になるのは何も他ならぬ僕達自身も、なのである 刺激を貰い、その受け取った、手にした、掴んだ刺激を何倍にもして広げていきたい、と思う限りであります 恐らくこの先、進んでも進んでも進んでいる自覚を得られないような時間も多く過ごすのでしょうが、それは自分の周りも一緒に進んでいて、相対的に、他人と比べて、なんだかうまくいかないような気がするだけで、実のところちゃーんと進んでいるんだぜ、だなんてことを、胸を張って言えるといいなあなどという戯れ言が飛び交う毎日に

 

うっうー

 


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この子の今後も気になります

俺らは引き出し合えるのか

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魂の切り売り


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「ないとうの歌は魂を切り売っているようだ」

 

 

そんなふうに

サークルの先輩に言ってもらえたことがある

 

 

僕はその形容がとても嬉しく

先輩もたまに会うと

「まだ魂切り売ってんの?」

と聞いてくれたりする

きっとお互い気に入っているのである

 

 

だからそれをそのまま曲名にしたものを

今までライブの最初の曲に据えて

ファズファクトリーに轟音をよろしくしてもらいながらその中で

ただただひたすら喋るものである

「今から、俺たちの、魂を切り売る

ロックバンド、chick in wisteria始めます」

 

 

最近はスタートロールという曲で始めることが多くなった

この曲は「レンサショウドウ」という

去年アポロでやったイベントがあって

そのおかげで出来たような曲である

「連鎖衝動に身を任せて ここまで来た」

それの話はまたそのうちしよう

 

 

 

 

魂を切り売る

というのはよく

魂を削って、という表現で言われるイメージである

 

 

魂を削っているからあいつは凄い

あいつの歌は魂を削っている

 

 

 

でも俺は

みんな何やかんや魂を削って生きているやろ

とも思うのである

 

 

そんである時

記憶が正しければ

2のドラムのyuccoさんがツイートしてた

「魂を削るんじゃなくて費やしていきたい」

みたいなことを言ってたのが

もうとても良くて

 

 

 

だから俺の魂の切り売りは

魂を削るのではなく

魂を費やす、人に、時間に、環境に、自分に

そういうものでありたいなんて思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この2日間東京で見たものは

まさしく

魂の切り売りであり

それは双方によるそれであった、ような、感覚

 

 

 

 

名古屋に帰るバスにて

駄文でした

 

東京で相手してくれた皆さま

どうもありがとう!

 

やりたいこと

 

「一度きりの人生、やりたいことやってこうぜ〜!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

そんな週刊少年ジャンプの主人公のようなテンションで高らかに言えないのである

そもそも、やりたいことってなんだっけ

どうして音楽をバンドを歌をギターを

 

 

 

 

 

 

 

 

勤め先で

自主課題を設定しましょう

みたいなやつがあった

 

これといって思いつかず

それでもどうにか出した自分の案は

なんかこう違うんだよな~という具合に却下されてしまい

 

 

そのあと

「ないとうくんは何かやりたいことはないの?」

と言われてしまった

 

 

 

 

 

 

 

そうだなあ

 

 

 

何がやりたかったんだっけな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔はゲームが好きだったから

ゲームを作れる人になろうかとか思って

大学も電気系の学科に入ったような気がするけど

プログラミングをほんの少し触っただけで

「あ、私は作る側じゃなくてやる側なんだ」

って思ってしまった

拒絶反応だった

その必修だったプログラミングの授業は

しっかり単位を落とした

 

 

小学校からサッカーをやってて

サッカーもやりたいなあとか漠然と思っていたけど

中学で腰痛を発症してしまった

引退間近ではあったので中学は乗り切った

 

 

人前でライブしたのも中学2年のとき

高校は軽音部に入ろうと思っていたが

親が「高校までは運動部の方がいいんじゃない?」

と言ってきて、なんか覚えてないけど

自分なりに納得したのか、サッカー部にまた入ることにした

 

 

 

 

しかし

腰痛でろくに動くことは叶わず

3年間いたけど

いわゆる公式戦でレギュラーどころか

ベンチにすら入ることができなかった

 

 

 

どうしてろくにサッカーできないくせに

部活をやめずに続けていたのだろうか

 

 

 

 

今思うと

大して「やりたいこと」がなかったんじゃねえかなと思ってしまう次第

 

 

 

 

あのとき軽音部に入っていたら

もっと早い段階でギターの知識を身に着けて

今より一層ガシガシ弾いていたのだろうか

もっと上手に歌が歌えていただろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるいは

早いところ音楽に見切りをつけて

今頃違うことに没頭していただろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで

14歳で始めた音楽を

25歳の今になっても

続けられているのは

何かしらの因果があるはずなのだけど

 

 

 

 

言葉でうまく説明できない

のか

頭の中で整理できていない

のか

理解できていない

のか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少なくとも

音楽しかできないから、音楽をやっている

とは思っていない

他にもできることはそれなりにある、と思っているし

その中でもやはり「やりたい」から

今も音楽をやっているのだろうし続けているのだろう

 

 

 

「なんで」やりたいのか

というのがうまく説明できないけど

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日

鈴木実貴子ズを見ながら

 

 

この言葉達は恐らく

本だとか漫画だとか映像だとか

そうした表現方法ではなく

音楽だからこそ届けることができる

 

 

そんなようなことを思わされたのである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の歌は

結局のところ

自分のことを歌っているものがほとんどで

 

 

たぶん

自分の事を知ってほしい、のだと思う

 

 

そして

一番聴いてもらえる媒体が音楽なのだと思う

 

 

 

エゴにまみれている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてライブするのは

 

 

 

 

俺はこうなんだけど、そう思いませんか?

 

 

っていうのを共感したい、

というか共感されたいのだろう

悪く言えば同情されたいのかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ結局

こんな長ったらしい文章で

自由に書ける場所ですら

うまくまとめられないんですわ

 

 

 

日々思ったことを歌詞にして

ああかっけえなあと思う表現は音楽にして

 

 

誰かに聴いてほしいだけなんでしょう

 

 

 

 

 

 

 

それだけ聴くとしょうもないけど

 

 

自分みたいな人

自分に似ている人

自分と同じような考え方価値観悩みを持っている人

 

 

 

ひとりでも

聴いてくれたら

いい

 

 

のかなあ

 

 

 

 

 

 

 

このブログを書くのは

誰かに向けて書くというより

自分に向けて書く面が強い

心情の整理とでもいうのか

 

 

 

 

 

 

ツアーを経て

この記事を消し去りたくなるような

気持ちの変化が起こるかも、しれませんね

 

 

 

しばらくライブできるので

ライブハウスでちゃんと喋れるように

 

 

 

 

 

あー

 がんばりましょう、おれぼくわたし、 みたいな人

 

 

 

失って敗北、ところでなんで敗北って北なんだろう東西南を差し置いて

なんてことない、とタカをくくったその積み重ねにまた足をとられてしまうのだろうか 思い返すと小学校や中学校の記憶はなんてことない失敗ばかり思い出してしまう 体育の時間にボールを思いっきり投げて渡そうとして振りかぶったらリリースが下手くそすぎて地面に打ち付けたり 誤解を生むタイミングで意味わからん発言をしてしまったり 1500m走でペース配分を間違えてクソみたいな記録を出したり 色々どうしようもなくなっていた時期に、留守番をしていた家の和室でBUMPのKを聴きながら泣いたり そんな時期の帰り道はとても憂鬱で歪んだ表情で家に着いたが、玄関の扉を開ける前に一度立ち止まって深呼吸して、家の中では気丈に振舞って見せたり 好きな子が居た金管バンド部と一緒に歌う奴に立候補して歌った小さな恋のうたのサビ前のところの歌で上のメロを歌ってしまったり(もっともその時は上のハモリが主旋律と思っていたのだが) そうこうして初めてできた彼女とろくに会話を続けられなくてたった18日間で別れを告げられたり

 

 

掘り起こせばいくらでも出てくる失敗は忘れられないまま思い出せるようになってしまっている それはそんな失敗を二度と繰り返さないように、潜在意識の中で自分を律してくれているのだと都合の良いように解釈をしている

 

それでも失敗を繰り返す

その度に強くなれていればいいけど

失敗に慣れたら良くないなあとも思う

 

失敗を恐れているからこそ

失敗した時のこのマイナスの感情が刺さって

忘れさせてくれないまま生き続ける

みたいな

 

なんにせよ失敗の自覚は必要なことのように思える

 

 

 

 

 

経験値

 

僕はライトなゲーマーなので

「けいけんち」の字面の方が馴染み深いが

けいけんちの多くは失敗体験な気分である

 

 

 

 

 

だからどんどん失敗しよう、なんてことはないなとも思う

 

というのも

今まで生きてきて

気付いたことは

 

 

 

成功体験の方が遥かにけいけんちが大きい

はぐれメタル級である

ハピナス級ともいう

ライトゲーマーが過ぎる

 

 

 

 

 

目の前のライブ

 

 

功を成さねばならない

 

まだレベルは限界値に達していないはず

達しているなら今すぐ配合してくれ

でも出来れば俺のままでいさせてくれ

 

 

 

お酒の力に頼れない

お酒はほとんど飲めない。と思っているが、自分よりも飲めない人もたくさん知っているので、あまり大きな声で飲めないと言うことは出来ない。もっとも、飲めるだなんて口が裂けても言えないのだが。

20歳ぐらいの頃はきっと飲める方が人生楽しいよなと思い、一人暮らしを始めた時期でもあったので1人でお酒を飲んでみては缶チューハイ1つで顔を真っ赤にしていた。頑張ってみようと思って鏡月の1.8Lのペットボトルを買って、1ヶ月で枯らしてみようと思った。それが苦痛すぎて焼酎が苦手になった。ふんわり鏡月はふんわりと俺を殺した。

そうこうしてお酒との戦いに勤しむ内に気付いたが、私という人間は、お酒を飲んで酔った所で行動力が増えることはなく、特に何かを起こすことはできない人種なのだということであった。そもそも酒と戦う時点でもう間違っている。酒と仲良くなれ。というかみんなはお酒で戦っているようだ。with お酒。

お酒があるから出来ることなど僕には何も無かった。お酒の失敗は過去に何度かあるが、あれは酒を飲んでいなくてもやっていたと思うので自分の失敗だったのだ。全部記憶にある。いわゆるお酒の席で、俺がお酒を飲んだとしても、その場にもたらせるメリットがないよなあ〜と思うようになった。

日本酒やワインとか、味が好きなものはちよいちょいあるのだけど、やはりそんなにたくさん飲めるものではない。そしてこいつらは翌日まで持ち越しがちである。博識な人によると、この辺の奴らは抜けるのが遅いらしい。原理はよく覚えていない。

 

 

 

 

 

 

とかなんとか言っているが、

今日は久々にお酒を飲んでみた

 

 

 

 

久々に飲んだ照葉樹林はなんだか前まで味わっていた味と違った気がして、こんなんだったっけ?と思いながら2杯飲んでよくわからなくて顔は真っ赤であった。

 

 

 

お酒が入っても喋れないことは喋れない

お酒を飲んでて喋れていることはお酒がなくても喋ることが出来る自負がある

むしろ頭痛くなるし耳の聞こえがなんか敏感になるからか何言ってるかよくわからんくなるし

 

 

 

 

お酒の力に頼れたなら

何が出来たんだろう

何かを成せたかもしれない

その分何かを失っているとは思うけど

 

 

 

 

 

 

この文章は

お酒を批判したいのではなく

むしろ肯定したいものである

 

そんでただ言いたいことは、

お酒の力に頼れる人が

羨ましいなということ

嫌味とかではなく

 

 

 

 

それだけの文章

 

 

 


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僕にとっての晩酌はこの29円のサイダーなのである

あとは寝る前にたまに飲む甘酒ぐらい

 

 

 

 

 

 

 

オチなし